肉体のない民族 (2)

大学のキャンパスは小さい町みたいなもんで、同じ大学だろうと他学部の人とはほとんど交流はない。サークルだったりクラブだったり、そういうのに所属していれば関わりはあるけれど、あいにく僕は入っていないし。

つながりと言えば自分の研究室のゼミのメンツだけ。

 

図書館の愛しき冷暖房に別れを告げ、アイと共に研究棟の冷暖房に二股をかけに行った。途中でアイが所望した生協の唐揚げさんを携え、研究室の扉を開けた。

 

「もしかして唐揚げさん!??」

 

この一瞬で匂い分子がどれだけ彼のもとに届いたか分からないけど、反応速度が尋常じゃない。

 

「帰ってきたよ唐揚げくん」

 

失礼なニックネームでアイが呼ぶ。
二句 満太郎。我が研究室屈指の巨漢くんである。常に何かしら口に入れてモグモグしている。目を離した隙につまみ食いを止めるタイプ。

ちなみに情報セキュリティオリンピックの優勝経験がある。

 

「この特集読んだ?」

 

二句が読んでいたのは例の臨床試験の特集だった。

 

「読んだよ。二句もヒューマノイドにしてもらった方が健康体になれるんじゃない?」

 

「バカを言うな。食を奪われたら俺には何も残らない」

 

たしかに。骨と皮になるかもな。悪いなのび太、このヒューマノイド一人用なんだ。これはジャイアンだ。

 

「試験の成り行きに興味はあるが、巻き込まれるのはごめんだ。合成肉が含まれているとは言え、唐揚げさんをいつでも食べられる環境にマジ感謝。現状の環境リスペクトォ~」

 

目を細くして遠くを見つめる二句。遠くと言っても研究室の壁なわけだが、目は肉汁で満ちていた。
心なしかさっきより太い。

 

「まぁたしかに、唐揚げさんは美味しいね」

 

アイが唐揚げさんの皮を剥ぎながらそんなことを言う。いやいやいやそこ一番美味しいとこやで、何してはるんですか。

 

そんなアイの行動を目を限界まで開き見つめる二句に、僕は真面目な話を振る。

 

「お前の実家ってこっちだよな?」

 

「ん?ああ、こっちだぞ。俺の心はそこには無いが」

 

「ちなみにどこにある?」

 

「あそこ...」

 

唐揚げさんの中身だけ食べ始めた人を指さす。おい、俺の好きな人を指さすな。俺も心配なんだ。

 

「じゃあ臨床試験も蚊帳の外の話だな」

 

所詮 二句もシティーボーイかよと、天井に向かって伸びをする。郊外出身の僕やアイにとって、臨床試験は最近ちょっとした問題だ。

 

窓が白く曇っていた。暖房と僕達の確かな体温が、この部屋を暖める。身体から発せられるぬくもり。エネルギーを使って動かされるこの肉体。臨床試験はその熱を代償にして成り立っている。

いつの間にか唐揚げを食べ終えていたアイが、記事を読み返しながら、

 

「でももしかしたら、この辺でもやるかもね」

と何の気なしに呟いた。

明日面接で作文書くみたい 2016.5.5

書かされる、否、書かせて頂けるらしいので長文の練習したいんだけど、これと言ったネタが無い。

そこでヴァターシが就活で出会った人々を紹介してみる。こんな適当な文章で練習になってるかはとても怪しい。

エントリーナンバー1

受付「こんにちは~ お名前を教えていただけますか?」

ワタシ「こんにちは、私○○と申します。本日は御社の、  」

エントリーナンバー1「こ”ん”に”ち”は”!!わたくし○○大学○○学部の○○と申”し”ま”す”!!!(最敬礼) 本日は御社の説明会に参加させて頂きたいと思い参”り”ま”し”た”。会場はどちらでしょうか!!!(ガン見)」

受付「えっと・・」

 

すごい肩肘張ってた。その男の子の後ろについて会場まで行ったけど、廊下ですれ違う人全員に最敬礼。説明会10社行ってアレだったら正気を疑う。

企業が説明会を開始した3月辺りでは、質疑応答で「本日はお話有り難う御座いました、私○○大学の○○と申します。質問なのですが・・・」ってクソ長い台詞を付ける子も多かったけど、4月後半になってみんな慣れたのか、そういうのは少なくなった印象。

その子と遭遇したのは4月半ばで、自分より学歴上だったから複雑な思いだったけど、心の中でエール送っといた。

 

エントリーナンバー2

社長さん「貴女はスペイン語専攻らしいですが、なぜこの業界に?」

エントリーナンバー2「本当はエステ業界に行きたかったんですが、他の業界も見てみようと思って、、」

マジかよって思った。歯車作ってる会社だったからな。

自分は工学系だから潰しが利くけど、売り手市場の今年でもさえ語学系は相当無理を強いられる分野なのかなって思った。語学専攻でも喋られない子は沢山いるらしいし、いままで何してきた?って聞かれて「バイト」だけでは押しが弱すぎる。

そろそろ文章うつの辛くなってきた。読むのも辛くなってきたな。わかり哲也

 

エントリーナンバー3

おれ「あのアニメいろんな要素混じってておもしろい」

仲良くなった阪大修士の子「そうだね。あれはとてもアナーキーだよね。」

漏れ「アナーキー・・・アナー・・・」

分からなかった。別れた後すぐスマホで調べちゃったよ。

見た目も去ることながら(めっちゃ阪大フェイス)、言動もめっちゃ阪大スピーキン。

これがコッコウリツのチカラかッ ってしばらく車内でうなってた。

 

 

まぁこんなもんかな。さっきの子ともう一人、京大の博士課程の子がいて、

「私は○○について明るくありませんが、、」って質疑とばして、明るいってリアルで聞けて興奮したりした。

ふぅ、乱文失礼しました。おかげで長文欲求は収まったZO★。

明日の作文と面接が無事にスルーすることを。。。。。面接あったな。。

 

シンゴジラ 2016.8.3

シンゴジラ観てきた。

一言で言うと、災害ドキュメンタリー。

言葉を借りるなら、「特務機関のない今の日本に使徒が襲来したとき政府はどう戦うか」、「プロジェクトXゴジラ回」などと言える。

(以下ネタバレあるし 未視聴の人はこんなの読んでないで予約だ!)

 

3.11を踏まえて作られた本作は、震災後放送された多くのドキュメンタリー番組の雰囲気を漂わす。自然の圧倒的な力をついこの前経験した日本人だからこそ、この作品に強い魅力を見いだす。映画開始から終了まで、ゴジラという絶対的で圧倒的な存在は、怪獣というより神格化された象徴のように見えた。

この作品の良いところは、みな頭のキレた者ばかりだということだ。総理大臣だけ最初少し優柔不断だが、この程度は本作の”遊び”の部分だろう。そんな切れ者達全員を縛りつけるのが、日本独特の悪い社会構造である。散々叫ばれる縦割り社会、無駄の多い会議、年功序列などが、彼らに少しずつの足枷となりゴジラという「大災害」に対応しきれなくなっていく。

そんなデメリットの下、それでも刃向かう日本(政府)の底力が本作の見せ場だろう。

国連の原爆投下リミットを背中に感じつつ、官僚がその優秀な頭脳をフルに使い、自衛隊など関連各所と連携をとり、不眠不休、全身全霊でゴジラに向かっていくシーンは 手に汗握るなんて陳腐な言葉じゃ間に合わない。劇場で失禁するひとがいても、私は笑わない。

虚構対現実、ゴジラ対日本 の看板に偽りはない。天才博士のスーパー兵器は登場しない、あくまで既存の自衛隊・全国の化学プラントなど、私たち目線で戦う。だからこそ、それら兵器が全く通用しないシンゴジラは怖い。ほんっっっっとうに怖い。

冒頭で神格化された象徴と言ったが、お世辞も比喩もなしで、”私たち”は神と戦っている。そういう空気が、劇場を包み込む。中盤の、暗闇の中のゴジラは特にヤバいのでオススメ。

 

長々と書いてしまったが、とにかく面白い。未視聴の人ははやく劇場へ。てかネタバレアリって書いてるのになに読んでるんだ。

映画マニアではないが、これがいわゆる”傑作”なのだろうと確信した。

肉体のない民族 (1)

 

《アジアの超大国。そこで束ねられた民族のいくつかが肉体を失った。残った魂と思考のうち、容れ物の必要な魂は、肉体が無くなったあとすぐに消えた》

 

 

 

 

 

「起きてる?」

起きてると言われれば起きてる。だけど君と難しい会話が出来るほど頭は冴えてないから、もしかしたら寝てるかもしれない。

「うわ、めんどくさー・・」

嫌われたらしい。

図書館の閲覧室。本はデジタル化の波に逆らえなかったけど、まだその役目を終えていない。適切に管理された温度と湿度は、僕にとっても心地よかった。静寂に満ちた教養の場は睡眠学習がはかどる。眠らない理由は見当たらない。

ん?豊富な知識をもち、静かに眠る僕はもしかして本と同義なのではないか。そうだ、そうに違いない。だって整然と並び堂々とした様は、まさに僕みたいじゃないか・・。

「頭見てもらったら?」

「人の思考を読まないで」

顔をあげて正面に座るアイを見た。

プログラミングの本を読んでいたらしい。今度の試験も楽々合格するんだろう。努力家の彼女は学年でも上位の成績。見た目はムスッとしてるし男まさりだけど、笑ってるときは最高に可愛い。

それに対して僕はと言いますと。成績は上の下。見た目は、まぁ平均より上?見る人が見れば中の上?だと思いたい。顔面偏差値なんて測れないし、なんとでも言えば良いと思うよ。こんにちは木村拓哉です。

「ねぇユウ、これ読んだ?」

情報学科の学生がよく読む学術誌だった。新刊出てたんだ。木村拓哉の僕は答える。

「まだ読んでないけど」

「特集組まれててさ、国が臨床試験OK出したんだって」

「チョ待てよっ」

「は?」

食糧関連法案  通称フーリーは、ここ数年の世界的な不作を受けて可決された。臨床試験もその一環で、脳みそをデジタルに置き換え、体をヒューマノイドにするというものだ。食料不足の深刻な地域で実施されるらしい。拓哉ネタは古いので封印する。

「アイって西部出身だよね。そっちではやるの?」

「やるみたい。お父さんとお母さんはそこそこ稼げてるからフーリーには参加しないよ。参加してほしくもないけど」

「他の人は参加するの?」

「そんなに多くはないけどね。宗教が特殊だから抵抗は少ないんじゃないかな、うちの家は無宗教みたいなもんだけど」

彼女が生まれ育った西部では、ラマジャンという宗教が根付いている。昔、身分を隠して人間界に住んでいた神様が病で両目を失い、それを嘆いた人間界の親友が片目をあげたそうだ。他者のために身を削ることは美徳とされ、臨床試験への理解は宗教の存在が大きいらしい。

「と言われても、自分の人格をサーバーに保管するのは怖い」

彼女は同意のまなざしを僕に向けて、一呼吸おいて言った。

「家族を養うためとはいえ、西部の人も怖いとは思ってるよ。だけど政府と冷戦状態の地域にわざわざ貴重な食料を送らないよね。たぶん今回の臨床実験も、敵に塩は送らないけど作る方法は教えるってことだと思う」

「なるほど・・」

よく分からなかった。アレかな、食料はやらんけど電脳化して機械いっぱい動かして野菜作って生き延びろってことかな。国外にも言い訳できるし。たぶん。アイちゃんは説明ヘタだから地の文で考え込んじゃったよ~

シュッ

対面からカウンターパンチが飛んできた。

木村拓哉はまたしても思考を読まれた。

 

 

 

 

(つづく?)

小説家になろうにて”ベンザクロック”名義で公開しています

夜中のテンションで書いて提出した工学倫理 (2016.5.2)

 すべての人を幸せに出来る技術は無い。例えば、ひとつの技術が確立され大多数の人々が幸せになったとしても、それ以前の技術で世界を席巻していた人達はその煽りを受け不幸になる。これは直接 金銭に関わる話だが他にも、宗教、国家など様々な切り口がある。しかしそれらは全て俗的で取り止めないことであり、最も根深いのは生命についての問題である。

 分かりやすい議題としてiPS細胞が挙げられる。これは、身体の一部から取った細胞を初期状態に戻して培養し臓器などを造る技術である。一部で宗教問題が取り沙汰されたが、ES細胞では解決出来なかった“命を奪う”という大きな障壁を越える事が出来た。しかし新たに、培養した臓器を入れたヒトは元のヒトと同じなのか、という疑問が生まれた。勿論、iPS細胞は主人の細胞から培養したものであり、身体への順応・心理的ストレスの少なさは現在の臓器移植とは比べ物にならない。そのような表層的問題ではなく、生命とは何なのかという非常に根本的な問題、人間が定義しようとしている生命の境目が以前にもまして不明瞭になるのではないか、という危惧が生まれた。

 現在臓器移植している人、また将来iPS細胞で臓器移植する人も健常者も、等しく一つの生命足りえる。しかし、iPS細胞が99%を占める人は、果たして同じ生命だと言えるだろうか。99.99%ならどうだろう。その境目は誰がどのように決めるべきだろう。

 この禅問答のような生命についての問いこそが、技術者倫理全ての問題につながると考えている。

卵子ダヨ!全員集合! (2016.6.18)

AKB48しかり、アイドルのライブ会場に向かう男性達の列を見てると、会場で待ち受ける卵子に群がる何万もの精子に見えてくる。押さないでくださーい、ゆっくりお進みくださーい

純粋に歌声が好き、という人もいると思う。その人達には申し訳ない。ただ、性格とか外見とかこじはるのおっぱいとかこじはるのお尻が好みという人も多いはず。AKBとの恋愛シミュレーションが出てるくらいだし。

前にショッピングモールで、若い兄ちゃん達のグループに群がって、必死にタオルを振り回す女性陣を見かけた。年齢は兄ちゃん達より上。若い男を食いたがる歳なのか・・とか考えながら 難しい顔して後ろを通り過ぎたけど。

まぁ生物学的に(←高校で履修しただけ)、遺伝子を残す力が強い若者に人気がいくのは必然ですよね。

つまり何が言いたいかと言うと、俺も年下の卵子にダイナミック入店したい。

Do you want to be Meat? あなたは肉になりたい?

「人間はすべての能力を機械に置き換えた後に、何が残るかを見ようとしている 」とは、 ロボット工学者 石黒浩の言葉だ。 車や電話、最近ではパソコンやスマホの普及で、人間に備わる機能はどんどん外部化されている。その先にあるものを、人類は見ようとしているという意味である。

 

この言葉を借りて、考えてみよう。

古代生物から猿、猿から人間になる長い歴史のなかで、私たちの先祖は効率よく生きる方法をずっと探してきた。車やスマホは新しすぎる。弓矢や斧、調理するための道具を挙げるのがいい。

 

それらを作ったことでだんだんと、生きるために必要なモノは体力から知力に変わってきた。

獲物は家畜となり、追いかけ回す必要がなくなった。遠くに出掛けなくとも畑で野菜が採れる。必要なのは、それらを育てみんなに配分する知力だ。

年月を経るごとに、知力は重宝され、体力は軽視されていく。時流に逆らう体力とは肉体労働であり、つねに社会地位の下位にある。  (※スポーツは娯楽)

 

生きるために必要なものが頭に集中し、手や足から機能が失われていく。だんだんと体が表情を無くし平坦になっていく。機械化が進み、知的労働が幅を利かせる社会だ。

 

そしてついに人間はAIを開発しその頭までも外部化しようとしている。

 

「AIが普及しても人間から職は失われない、車や電話が普及したときもそうだったじゃないか」と豪語している人がいたが、バカだ。最後の最後、それは人間の砦なのだ。最大にして最後の発明になるかもしれないAIを、過去の産物と比べることが如何に愚かしいか。

 

結局この体から手も足も、そして頭ももがれる予定の体には何が残るのか。

いまこの文を書く体はいつか、知力のない肉塊となって椅子に沈み込む。