改めて。

結婚したいと思ってたとは、出会って2ヶ月の自分には言えなかった。

好きな人が幸せになるのは嬉しい。自分とは別の人と結ばれるとしても。

でも一瞬でも、ちょっとでも自分と別れたことを後悔するときが

くれば良いなとか、そんな邪念もむくむくと湧いたりする。

忘れるためというか、振り切るためにカラオケで喚いたり、

近場の山に登ったり、癒やしの観葉植物買ったりした。

とっておきは、彼女と出会ったアプリの再登録。

ちなみに別れたのは昨日の話。我ながら今日はよく動いた。

可愛さも去ることながら、性格や価値観がとても似ていた。

冗談ぬきで、毎朝起きるたびに「あ”~会いたい~」とか

気持ち悪く唸ってた。一人暮らしな分、思春期の高校生より

その辺タチが悪かったかもしれない。

自分には無い強さとか、仕事を頑張ってる姿が本当に好きだった。

文章とかカラオケで 自分を出力することでしか、今の自分を保てない。

不安定な要素を絞りだして絞りだして、トゲトゲした気持ちを

排出することで、アパートから飛び降りることをなんとか堪えてる。

ほんと慣れない

フラれた。

前回は、自分も好きじゃなくなって、お互い愛想ついた感じ。

今回は、お互い超好き同士だったけど、好きの種類が違うかったらしい。

顔がタイプと初めて言われた。それ以前に性格も合ってた。

マニアックな本をたまたま二人とも読んでた。育った家庭環境も似てた。

それ以外の価値観も似てた。それだけ揃っておいて、フラれた。

笑える。

笑えねー。

以前に2人付き合った人がいたらしいが、2人とも同じように、

友達以上の関係として見れず、フってしまったよう。

一人は性格がドクズで、一人は見た目が全くタイプじゃなかったみたいだけど。

それでも、

街コンとかアプリとかで会ったどの人よりも、性格とか見た目が

好きだと言われながら、「相性が悪かった」という理由で

フラれた。

もうなんなのかな。わかんね。

晩ご飯は30%OFFのお総菜

食べました。

たまに早く帰ると、スーパーには沢山人がいて、

お総菜も作り立ててでキラキラしてるんよな。

死にかけリーマンがヨロヨロしてる時間帯しか

知らない自分にとって、そこは異国。

傷みやすい生魚が一匹丸ごとで売られてる、

本来帰宅すべき時間帯。

帰宅しましたー、寝るまで1時間しかありませんー

ダラダラしてて寝るのは24時過ぎましたーなんて。

そんな生活を送って身体もついてくるはずがなく。

 

死期は、自分の気持ちが身体よりも前のめりに

なったとき感じるらしい。

気持ちも、身体も、両方とも後ろにつんのめった

状態で、なにをしろってんだい。

キョロキョロと

平日働いて、土日遊んで。

平日夜遅くまで働いて、土日遠出したり街コン行ったり。

アクセントの利いた生活を送ろうとはするけど、

バンジージャンプも毎日してると飽きる。

同じように、いくら遠出しても、刹那的に女の子に

会っても、どうしてもルーチン化してしまう。

ルーチン化の原因は、考えなしの同じ行動パターンにあって、

ちょっとしたことでも精神的にバンジージャンプを飛べていれば

飽きはきっとこない。

 

輪廻みたいな一週間をこなして、なんとかそこから

抜け出そうと土日にもがく。

繰り返す7日間、繰り返す肩すかしな感覚。

いくら自分だけで動いてみても、親しい人が側にいないと

不安定になる。だからこそたまに実家に帰らないと、

寄る辺が無くなってしまいそうで不安になる。

親離れはした。ただ自分が親になる準備もまだ無い。

右に左に、キョロキョロと寄る辺を探して彷徨う。

付き合う人

「別れました」

よく聴く単語ですね。歌とかドラマとか友人からとか。

でもよく考えてほしい。

しばらく一緒に居られるくらい仲が良くて、

至近距離で身体を触りあうような関係だったのに、

別れた途端、連絡も何も無くなるのは不自然じゃない?

けじめなのかもしれないけど。友達でいうと、

親友から友達への格下げみたいな扱いが妥当かと思った。

そんなこと言って、目から汗は出てくるし、

これからどうしようかなーと、身体の一部が無くなった

ような感覚がずっと付きまとっています。

 

 

 

今年の振り返り

今年ももうすぐ終わりですね。

さくっと振り返る。

 

大学生から就活で社会人になり、社畜へ変身。

土日出勤に関してだけならもう一人前の社畜です。

冗談は置いといて(冗談で済ませたい)、

あとはそうだな、街コンで彼女もできた。

初めて一人暮らしした。一人の時間が増えた。

考える時間が増えた。

 

これらひっくるめると、自分史上、わりと激動でした。

いままで生きてきた中で、これから生きていくなかで、

今年がどういう位置づけになるのか。

 

本当にこの会社で良かったのか?だったり、漠然とした

社会への不安もある。故郷へ戻る努力をするべきか、

結婚はいつからするべきなのか。自分の時間が取れていない

のではないか。

それら全てに絶対的な答えがあれば、どれだけ良いだろう。

政府から仕事も家も人生そのものを決められたら、

もしかしたら悩みも少なくなるんだろうか。

それはもう社会主義だなと笑いながら、少しそれに憧れている。

笑う棺桶

人生を楽しく過ごすためには、笑顔でいるのが一番だと、

そう思っていても、いつか死ぬことを思うと一瞬真顔になる。

どこかのおばあちゃんが どこかの最年少オリンピック選手を見て、

「迷いなく明日を信じて進めるのが羨ましい」と言っていた。

事故で死ぬことも、病気で急逝することも考えず、永遠に

自分が続くものと信じる。これまで生きてきて、死んだこと経験が

無いから、きっとこれからも死なない。そんなよく分からない

考えで毎日は埋もれている。

棺桶に詰め込まれたとき、自分は良い顔で眠れているだろうか。

灰になって燃えるとき、一緒に燃えるものが花だけで、それだけで

満足するだろうか。

願わくば、これからも生きていく人の記憶の中で、たまにひょっこり

現れたい、使い古された考えが頭をよぎる。