仕事が出来る
「そうだなぁ、○○君が辛い状況にあるのはみんな知ってるしなぁ」
すこし嗚咽しそうだった。
愛のムチであることは頭では分かっていながらも、その時代錯誤な考え方や、
すぐに頭に血が昇りやすいゆえに叱責が多いなど、それらに対し日々
自分の中でストレスが溜まっているのは感じていた。
ただ悪い人ではなくむしろ良い人で、愛情深いことも理解している。
それでも、第三者から言葉にしてもらえただけで有難く、それを寄り辺にさえしようとする自分がいた。
自分の置かれた状況を客観的にみてくれるだけで良かった。
エンジニアで仕事が出来るというと、当たり前に「技術力がある人」という意味になる。
ただ社会人には「人柄」だとか「統率力」といった指標もあって、個々人で重要視することは違う。だから困る。
周りの事務処理など放り投げて、ひたすらに技術を追求する人。熱中する人はきっと強い。
圧倒的な技術があれば、多少のことは許されるし、組織としても手放したくないだろう。
ただそれを周りで支える人は、「熱中する人」が散らかした現場を片付けて、
後追いで申請する書類にハンコを押し、仕事の極意やワガママを拝聴することになる。
支えている周りは辛いが、仕事が出来る人に片付けまで求めるのは容易じゃない。
抜群の技術がある人のもとで働き 技術を継承する立場にあるのに、
サポートするだけで必死な自分が役目を果たせるのか?
技術力の無さを叱責されて 愛のムチを受ける自分が、いつまでそれを
”愛”と感じられるか?
金曜日の夜、事務所の澱んだ空気の中、
疲れでたるんだ頬は、その一言に一瞬微笑んだけれど、
胸に込み上げる嗚咽がすぐそれを掻き消した。