Do you want to be Meat? あなたは肉になりたい?

「人間はすべての能力を機械に置き換えた後に、何が残るかを見ようとしている 」とは、 ロボット工学者 石黒浩の言葉だ。 車や電話、最近ではパソコンやスマホの普及で、人間に備わる機能はどんどん外部化されている。その先にあるものを、人類は見ようとしているという意味である。

 

この言葉を借りて、考えてみよう。

古代生物から猿、猿から人間になる長い歴史のなかで、私たちの先祖は効率よく生きる方法をずっと探してきた。車やスマホは新しすぎる。弓矢や斧、調理するための道具を挙げるのがいい。

 

それらを作ったことでだんだんと、生きるために必要なモノは体力から知力に変わってきた。

獲物は家畜となり、追いかけ回す必要がなくなった。遠くに出掛けなくとも畑で野菜が採れる。必要なのは、それらを育てみんなに配分する知力だ。

年月を経るごとに、知力は重宝され、体力は軽視されていく。時流に逆らう体力とは肉体労働であり、つねに社会地位の下位にある。  (※スポーツは娯楽)

 

生きるために必要なものが頭に集中し、手や足から機能が失われていく。だんだんと体が表情を無くし平坦になっていく。機械化が進み、知的労働が幅を利かせる社会だ。

 

そしてついに人間はAIを開発しその頭までも外部化しようとしている。

 

「AIが普及しても人間から職は失われない、車や電話が普及したときもそうだったじゃないか」と豪語している人がいたが、バカだ。最後の最後、それは人間の砦なのだ。最大にして最後の発明になるかもしれないAIを、過去の産物と比べることが如何に愚かしいか。

 

結局この体から手も足も、そして頭ももがれる予定の体には何が残るのか。

いまこの文を書く体はいつか、知力のない肉塊となって椅子に沈み込む。