夜中のテンションで書いて提出した工学倫理 (2016.5.2)

 すべての人を幸せに出来る技術は無い。例えば、ひとつの技術が確立され大多数の人々が幸せになったとしても、それ以前の技術で世界を席巻していた人達はその煽りを受け不幸になる。これは直接 金銭に関わる話だが他にも、宗教、国家など様々な切り口がある。しかしそれらは全て俗的で取り止めないことであり、最も根深いのは生命についての問題である。

 分かりやすい議題としてiPS細胞が挙げられる。これは、身体の一部から取った細胞を初期状態に戻して培養し臓器などを造る技術である。一部で宗教問題が取り沙汰されたが、ES細胞では解決出来なかった“命を奪う”という大きな障壁を越える事が出来た。しかし新たに、培養した臓器を入れたヒトは元のヒトと同じなのか、という疑問が生まれた。勿論、iPS細胞は主人の細胞から培養したものであり、身体への順応・心理的ストレスの少なさは現在の臓器移植とは比べ物にならない。そのような表層的問題ではなく、生命とは何なのかという非常に根本的な問題、人間が定義しようとしている生命の境目が以前にもまして不明瞭になるのではないか、という危惧が生まれた。

 現在臓器移植している人、また将来iPS細胞で臓器移植する人も健常者も、等しく一つの生命足りえる。しかし、iPS細胞が99%を占める人は、果たして同じ生命だと言えるだろうか。99.99%ならどうだろう。その境目は誰がどのように決めるべきだろう。

 この禅問答のような生命についての問いこそが、技術者倫理全ての問題につながると考えている。