半年目の空気
彼女の横で元カノとの夢を見た。
楽しく一緒に遊んでたとか、そういうのではないけれど。
ねぼけた状態でも感傷的な気分が続いてたので、
別れた後にその子と再会した~とか、そんなんだと思う。
普通に気持ち悪いし、ひどいと思う。
ただ、どうしようもない。
元カノが夢に出てくることはあるけど、今カノが出てきたことはない。
夢に出てくるのは昔の思い出。脳が古い記憶を整理してるんだ、と聞いたことがある。
それに従えば、多少は言い訳できるか。
振り返って思うと、元カノはジュースみたいな子だった。
今の彼女は酸素というか、空気だと思う。
美味しい思い出は、よく覚えてる。
息を吸ってるのを意識するのは、風邪を引いたときくらい。
ただ、無くて困るのはどっち?
いまは意識してない。当たり前にそこにあって、走ると向かい風になる。無くなるなんて考えたこともない。
でも、出来ればあと60年くらいは一緒に居てほしいなと、控えめに息をする。
車内の揺れ
実家に帰ってた。
先月家族がこっちに遊びにきてくれたとき、すこしホームシックになった。
それから1ヶ月経った。
少し老けた父親と母親。変わらず美味しいご飯。豊富な冷蔵庫の中身。清潔な布団などなど。
生活の基礎はすでにそこにあり、昔使っていたバスタオルがお風呂場にかかっていた。頂き物のお菓子も美味しかった。
そういったものひっくるめて、「仕事せず、親のすねの髄までかじり尽くして生活したいモンですなぁ!」って思いが喉元にこみ上げる。
頑張ってその思いをねじ伏せる。
帰り際に渡されたクッキーが唯一の燃料。基本的に先導者はおらず、たまに帰省しては、正しい目標地点を教えてもらう。
一緒に燃料のクッキーもぐもぐしながら歩いてくれる人がいればなぁと思う。実家からの帰りは雨。
新幹線が揺れるたび、目標地点が見えづらくなっていく。
アホドックが選ぶ分岐点
ボロいアパートで、ケンカした女の子泣かせて、錆び付いた階段に腰掛けて、天を仰ぎながら涙流してみたいです。
深夜のサイゼリアでめっちゃ仲良い友人達と、ドリンクバーメインで語り合いたいです。たまにチョリソー頼んで、長居をごまかしつつ。
会社からの帰り道、ぼんやり黄ばんだ電灯のアパートを眺めたり、
駅前の2階にあるサイゼの緑色のガラスに、談笑する人達を眺めながら、そんなことを思います。
自分の人生にそれほど不満があるわけではなく、かといって、イケメンで生まれたくなかったか?と問われると、めちゃくちゃイケメンに生まれたかった。
違う人生を生きてみたいとはいうより、違う分岐を選んだ自分を観てみたい、というのが正しい気がする。
その世界にいる自分が幸せか確かめてみたい。
「こんなこと彼氏に言うことじゃないけどさ」
「こんなこと彼氏に言うことじゃないけどさ、実は元彼と来たことあるんだよね」
IKEAへの道すがら、そうおっしゃいました。
女性はあまり昔の男を引きずらず、彼氏の前でもそういう話を気にせずすると聞いたことはある。
口にはしないけど、その度こちらの心は動揺する。
その子と一緒に居たいと思うのは、これからの欲求。
その子を知りたいと思うのは、その子を形成した今までの出来事を知りたいという、過去への欲求になる。
もっと知りたいと思っていると、昔話を掘り当ててしまうことが、たまにある。
「一緒に行ったことがある」ならまだしも、「泊まったことがある」となるともうダメ。主観的・自分的に最悪のシナリオを想像して泡を吐き、雄叫び上げながら頭を打ち付けて死ぬしかない。
みみっちいし、その子の過去も欲しいと思ってしまうとは、本当どうしようもない。
そして、どうしようもない自分と、変更できない過去を混ぜこんだ
気持ち悪い不条理のなかで、どこか愉快に息を吸う。
大学院
大学院に行くために必要なものはなんでしょう?
大前提はお金と保護者の理解。それ以外で。
自分が大学院に行かなかったのは、「情熱」が無かったからです。
勉強に対する情熱。です。
真面目に生きてきて、みんなが行ってるからと入学した大学にも嫌悪感を抱くことなく、みんなと同じように就職した。
振り返ってもそれほど恥じる点は無く、しかし大学時代をエロゲに費やした点のみ マイナス100万点くらいしたい。JDと公式にお付き合いできる機会をみすみす見逃したのは小生一生の恥。戦国時代なら切腹してた。
ただそれ以上に後悔というか、自分にこうあって欲しかったと思うのは、大学院に絶対行きたいと思えるほどの、勉強に対する、学問に対する情熱を持っていて欲しかったってこと。
親に何百万も払わせて学問する熱が、自分にあるのか。
行ってみたいとは思ったけれど、当時、これは違うと思った。
結果として、就職しても勉強する機会はあるし、生きてる限り勉強だなとは思った。けれど、最高学府の院で情熱を傾ける体験もしてみたかったと、今でもひっそり思う。
時間差の博物館
もうすぐ付き合って5ヶ月の彼女と、博物館に行ってきた。
毎週会い、毎回どこかしら出掛け、会った日の晩はよく一緒に料理を作る。
喧嘩したことが無いって言うと、「逆に喧嘩したとき別れたりするんじゃない?」って言われたりするけど、仲が良いんだから仕方が無い。
博物館のレストランでご飯を食べて、久しぶりにお互いが出会ったマッチングアプリのことを話していた。
ふと思い出した。
今日は5月19日。たしか1年前の今日、前の彼女にフラれた。
しかも1年前の今日も この博物館に来て、この席から見える窓際の席でご飯を食べていた。頼んだメニューも、覚えている。
元気がなく喋らないその子に、「疲れた?」と聞きながら
頭をフル回転させ、別れ話に分岐しない未来を必死に模索していた。
よっぽど女の子の日が重いんだなーとか自分に言い聞かせつつ、どこかで、最期にその子に聴きたいこと言いたいことを、頭の中に列挙していた自分も居た。
仮にそのまま付き合っていたら、勿論今の彼女とは会わなかった。
ケーキが美味しい。ブルーベリーとクリームを掬いとり、窓際の席が
視界に入るこの席で、大好きな彼女とご飯を食べている。
いまが幸せ。この子と結婚したい。
ただ、吐き気がするその記憶を思い出し、もし上手くいってたらその時の自分はどうなっていたか、見てみたい気もした。